開業支援の会社に相談に行くと、たいていは前向きな話をされる。先生ならいけます、この立地なら伸びます、と。
脳神経外科で20年を過ごし、美容医療での開業を決めた佐藤光先生も、複数の会社に相談した。そのなかで、いちばん厳しいことを言ったのが、いま隣に座っている若狹正樹さんだった。
「山手線沿線での開業は、正直むずかしいです」
普通なら、席を立つ場面かもしれない。けれど佐藤先生は、この人に任せると決めた。
2026年3月、新宿駅から徒歩1分。アトラクレアビューティークリニック新宿は、その決断の先にある。特集「開業のリアル」の実例として、頼んだ側と支えた側のお二人に、同じ場でお話を伺った。
1|まず、「何屋になるか」を決めた
新宿には、美容クリニックが数えきれないほどある。そのなかで最初に決めたのは、何を看板に掲げるか、だった。
佐藤先生は脳神経外科医として20年のキャリアを持つ。外科の技術はある。実際、何でもやろうと思えばやれる。それでもあえて、診療の柱を絞った。
「特化しないと、注目してもらえないんです。ネーミングバリューがあれば『全部やっています』で通じますけど、そうでない状態でそれを言うと、ぼやけて埋もれてしまいます」
いま前面に置いているのは、たるみ治療だ。
理由は、裾野の広さにある。たるみと一口に言っても、糸を使う方法もあれば、注入もあり、機器による治療もある。多くの方が気にされる悩みで、入り口が広い。
「まず、一般の方にもたるみ治療についてわかりやすく説明するために5層理論(5 layer theory)という独自の診断・治療フレームワークを考えだしました。解剖学的にたるみを考え、それに基づいた治療方法を適切に判断し、誰しもが直面する老いからくるたるみに対して総合的に治療できることを柱に据えました。これは美容業界にありがちな治療ありきのクリニックではなく、通常の医療現場のように悩みベースで診察、診断、治療の提案ができることを目指したためです。これは今まで培ってきた解剖学的な知識と脳外科医として20年間磨いてきた繊細なマイクロサージャリーの技術や日常の診療体制をそこに落とし込みたかったからです」
若狹さんが開業設計で最初に行うのも、この「何屋になるか」の確定だという。
「まず、先生がやりたいこと、できること、何でやっていきたいのか。そのブランディングを漠然とでもお話しして、方向性を決めていきます。そこで先生ができるメニュー、やりたいメニューを決める。そうすると、必然的に方向性が出てきます」
そして、そこから先はすべて逆算になる。
「ブランディングを暫定でも決めることで、人の数、部屋の導線、手術の道具が決まっていく。それを前提に事業計画を立てて、イニシャルコストを組む。そこからまた調整していく、というのが基本的な考え方です」
順番を守らないとどうなるか。若狹さんの言い方は、はっきりしている。
「目指したいだけの、根拠のないブランディングは、開業にとってプラスになりません。結局は、メニュー構成と、先生のできること・できないことをちゃんと組み立てていくことが重要なんです」
そのうえで決まった、たった二つのこだわり
佐藤先生がこだわったのは、二つだった。
「ダウンタイムと、痛みです。効果はもちろん大事ですけど、過程も大事なので、そこにはこだわりたいと思いました」
若狹さんは、この二つをそのままクリニックの旗にすることを提案した。背景には、立ち上がりの現実がある。
「先生は外科がご専門なので、外科メインの構成にすると、どうしても立ち上がりが遅くなる。外科の患者さんが集まるには時間がかかりますから。そこで美容皮膚科をバランスよく入れて、そのなかで患者さんに刺さるものは何かと考えたときに、ダウンタイムと痛みでした。それを専門にやっている研究機関くらいの勢いで打ち出しましょう、と。それが最初のブランドのスタートでした」
決めたことは、機器の選定にも一貫している。
「シミや美白、メラニン関係の機械は一切入れていません。たるみに特化した機械しか置いていないです」
2|「山手線沿線での開業は、正直むずかしいです」
佐藤先生は、開業支援を3社ほど比較した。
いちばん厳しかったのが、若狹さんだった。
「確かに、一番シビアなことを言われました。でも私は、夢を見させてほしいわけじゃない。経営をちゃんとやっていかなきゃいけないので。夢を見させるようなことを言われても、その人たちが責任を取ってくれるわけではないですから」
その言葉には続きがある。
「初めから問題が分かっていないと、解決もできない。逆に、厳しいことを言えるということは、厳しいことを知っているということ、その対策も持っているということかなと」
そして、厳しいことを言われると、かえって燃えた。
「子供の頃から『それはできない』と言われると火がつくタイプだったので、それでも頑張ってやってやろう、という気持ちにもなりました」
印象に残っている言葉
いま振り返って、どの言葉が残っているかを伺うと、佐藤先生は即答した。
「『山手線沿線での開業は、正直むずかしいです』と。『ブランディングがないと厳しいので、少し郊外のほうが確実です』とも言われました」
けれど、それを言われたことこそが安心につながった、と続ける。
「ブランディングがないなら都心の激戦区より郊外のほうが、というのは、そのとおりだと思います。それを言ってくれるほうが、開業支援の立場から客観視をしてくれていると感じられて、私は安心なんです」
なぜ、あえて厳しく伝えるのか。若狹さんの答えは短い。
「単純に、そんなに甘くないからです。だから本当にリアルな数字を出して、綺麗事は言いたくないんです」
その姿勢を、若狹さんは一つの言葉に置いている。
「負けづらいクリニック、勝ちやすいクリニックを、リアルにつくる。そこがキーワードです」
では、その「リアルな数字」はどこから出てくるのか。若狹さんには、10年かけて育ててきた事業計画のシステムがある。表計算ソフト上に組み上げたもので、必要な項目を入れていくと事業計画書ができあがる。
入れるのは、メニューと治療費と原価。先生のコンセプトに沿って、どのメニューが何割を占めるかという患者さんの構成比。初期費用と運転費用、償却。そこから、1日に何人の方が来られる想定なのかを逆算する。さらに、集患チャネルごとの相場——ポータルサイト、インスタグラム、X、YouTube、広告——を、地域ごとの数字で入れていく。やる/やらないも含めて入れる。
「分からなければ、自分である程度データをかき集めて、割り算して出します」
そこにベッド数と、メニューごとのベッド占有時間をかけ合わせると、売上が出る。それを月次に展開すると、数年先までの見通しが数十枚のかたちで出てくる。
「集めるための、取ってつけたような数字ではなくて、実際にこうなるでしょうね、という数字が出ます。そのとおりにやれば、余計なことをしなければ、負けづらくなります。あとは先生次第で、勝ちやすくなります」
それでも任せると決めた理由は、数字ではなかった
厳しい見立てを聞いたうえで、佐藤先生が最終的に若狹さんを選んだ理由は、意外なところにあった。
「一言で言うと相性かもしれません。同じ場にいてうまくいかない、うまく伝わらないことがあります。その違和感のまま仕事をしても、お互いの信頼関係は取れません」
若狹さんには、それがなかった。
もう一つ、佐藤先生が見ていたものがある。他社との面談で、社長の勢いは伝わってきた。ただ、隣についている社員の方の表情が気になった。
「あまり幸せそうな顔をされていなかった。これは相当無理をさせているんだろうな、と。社員が幸せじゃない会社は、いい会社だとは思えないんです。うちのコンセプトにも通じますけど、患者さんを幸せにしたいのはもちろん、スタッフも幸せにしたい。そう思っていますので」
3|開業のリアル ― 物件、融資、そして薬
準備からオープンまででいちばん大変だったことを伺うと、三つ挙がった。物件、融資、そして薬の仕入れである。
「人も大変でしたけど、人はなんとかなる部分もある。でも、物件がなければ場所そのものがないし、薬がなければ仕事にならない。薬を売ってもらえないという問題があって、そこはちょっと厳しかったです」
美容医療の領域では、開業直後のクリニックが薬剤の取引口座を開くまでに時間がかかることがある。佐藤先生の場合は、開業に携わる沢山の人の協力でスムーズに手配ができた。自分ひとりでは難しかったことも専門家たちの協力のもと可能になることも多い。
「そこは若狹さんのお人柄で、いろいろなつながりがあって、なんとかスムーズに仕入れることができました」
若狹さんも、ここは業界的なハードルだと言う。
「どちらにしても、いま薬を仕入れられないという問題はありますので、そこはハードルではあったと思います」
新宿駅徒歩1分は、偶然だった
いまの物件に決まる直前、実は別の物件で契約寸前まで進んでいた。赤坂だった。それが、消防法の要件で止まった。クリニックとしては可、と言われていたのに、最終的に契約できなかった。
「それで探していたら、たまたまここが空いていて。本当に偶然です」
しかも、最初に見に来たのは7階だった。
「7階は先に取られてしまっていて。もうダメだと思っていたら、『実は6階が出るかもしれません』と」
交渉して、いまの場所になった。
物件を探すタイミングについて、若狹さんの考えははっきりしている。
「コンセプトが決まっていれば、そのコンセプトと先生で患者さんを呼べるので、あとは物理的な話です。利便性が良くて、アクセスが良くて、ロケーションが良い。それが揃っていれば、私はどこの駅でも変わらないと思っています」
ただし、条件はある。
「複数路線が入っていること。路線が多くないと、そこから広がりません。それと、ドアtoドアで1時間以内、乗り換え1回以内で来られるマーケットを考えて、そこに広告が打てるかどうか。そこまで含めて考えます」
採用は、面接を先生が、見立てを若狹さんが
スタッフの採用について、佐藤先生の関わり方はこうだった。
「基本的には私が面接をして、あとは若狹さんに見てもらう、という感じです。私は採用という面では素人なので、見るところが違いますし、着目すべきところが分からないこともある。私がやると、どうしても雑談になってしまうんです」
順調ではなかった。オープン直前に、採用が決まっていた方と連絡が取れなくなったこともある。
「そこは面接のところで、私のほうでも何かあったのかな、と。先生にご迷惑をおかけしました」
それでも、結果としては良かったという。
「最終的に、本当にいい方が揃った。そういうパターンが多いんです」
4|どこまで任せ、どこから自分でやったか
この特集の中心にある問いを、お二人それぞれに伺った。
佐藤先生の答えは、「明確なラインはない」だった。
「もちろん、最終的な判断は自分でやることなので、自分の責任で、というのはあります。ただ若狹さんは事務長のご経験もあるので、事務長目線でアドバイスをいただける。そのアドバイスを参考に、自分で物事を決めていく、という感じでした」
分からないところは、そのまま渡した。
「正直、分からないところはもうお願いしていました」
若狹さん側にも、固定された線はない。
「まるきり、私が開業支援をして、決裁だけいただくというケースももちろんあります。ただ佐藤先生の場合は、ご自身のお考えや具体的なこだわりをしっかりお持ちでいらっしゃる。逆にそこを立てて、サポートに回る。今回はそういうスタンスを、すごく意識していました」
線引きはパキッと決まっているものではなく、グラデーションであり、先生ごとに毎回違う——それが、経験から出てきた答えだった。
5|計画との答え合わせと、反対された機械
開業から半年近く。事業計画と実際は、重なっているのか。
「もちろん、乖離がないわけではないです。ただ幸い、上回っている部分もあります」
佐藤先生は、いまも事業計画をときどき見返しているという。
「自分の立ち位置というか。厳しめに見積もっていますと言われているので、それを上回るだけの成長をちゃんとできているかどうかは、確認しています」
そのうえで、こう付け加えた。
「初めの見積もり以上に順調に進んでいることに対して今振り返って思うことは、開業支援も集まってくれたスタッフも本当に人に恵まれていたなと感じています。『人材は宝』と言う言葉が身に染みます」
若狹さんが「かなりの勢いで反対した」機械
計画から良い方向に外れた要素もある。導入した美容機器が、想定を上回って動いた。
実は、この機械の導入に、若狹さんは反対していた。
「私、この機械はかなりの勢いで反対したんです。値段もすごく高額な機械だったので、『違う機械にしませんか』と申し上げました。でも先生が『ちょっとやってみたいです』と。そこまで先生がお考えなら、私はそれ以上は言えないので、と引きました。結果は、大正解でした」
佐藤先生の判断には、根拠があった。効果が高いことは調べて分かっていた。ただ、その機械は「痛い」ことで知られていたソフウェーブだった。痛みとダウンタイムにこだわると決めたクリニックにとって、そこは致命的になりうる。
デモに行って、判断が変わった。
「冷却がすごく強力で、ガンガンに冷やしながらやると、痛みを全然感じなかったんです。あれだけ痛いことで有名なのに、これだけ痛くないなら、いけるかなと。冷却装置がなかったら、多分やめていました。冷却装置込みで買うならあり、と思って、少し無理をして決めました。予定より予算が大きくなりましたが、そこは私のこだわりを尊重していただき、迅速に融資が下りるようにしっかりと若狹さんがサポートしてくれました。冷静な意見も伝えてくれますし、最終的にクライアント側のこだわりも尊重してくれて感謝しています」
痛みが理由で受けられなかった方がいる。価格が理由で受けられなかった方もいる。その両方に応える形になった。
「実際、痛いのと値段が高いので来られなかった方が、たくさんいらっしゃるみたいで」
いまでは、機械の名称で検索されたときに、上位で見つけていただけるようになった。
6|もう一度、ゼロから開業するとしたら
もう一度開業するとしたら、どこを自分でやり、どこを任せるか。佐藤先生の答えは、変わらない、だった。
「スタイル的には変わらないと思います。事務的なことは、正直分からない。役所の手続きとか、文章にはなっていない手順や、お願いの仕方があるじゃないですか。ああいうお作法は、私はやってきたわけじゃないので分からない。そこは知っている人がやるほうがスムーズなので、お任せしたほうがいいと思っています」
若狹さんも、同じ場所に線を引く。
「先生はもう一度ご経験されているので、機械を選んだり、物件を見たりというのは、頭の中にあるからもう全然できるんです。ただ、そこをつなぐ間の、ソフト的な見えない流れ。業者とのやり取りであったり。そこは私たちが入って、潤滑剤になれるところなのかなと思います」
7|これから開業を目指す先生へ
いま、これから開業する先生に伝えたいことを伺った。佐藤先生は、まずこう言った。
「開業は厳しいですよ。」
そして、すぐに続けた。
「それだけやりがいがあります。ただ、なあなあで開業できる時代ではなくなりました。覚悟も必要ですし、資金や融資の環境も、かなり厳しくなってきています。だから、『開業したい』ではなくて、『開業する』から逆算する。それをかなりしておかないと」
自分自身の反省もある、と言う。
「初めは大手でSNSの担当者が頑張ってくれていましたが、その次のクリニックはSNSに対してあまり積極的ではない部分もあり、自分でSNSの管理から投稿までやってきたものの名前を売るほどには自分のアカウントを育てきれませんでした。またモニターの写真については私に権利もないため、1からアカウントを育てるには時間がかかります。症例写真だけではなくXなどで発信しておくことなども大切だったかなと思います」
だから、開業を考え始めた時点からできることがある、と続けた。ある程度の知名度を上げておくこと。融資につながるところを探しておくこと。そうした準備は一朝一夕では決まらない。
「開業したい、ではなくて、開業するための準備。そこから先までうまくいかせるところを見据えた準備は、その時代からできることがたくさんあります。それをコツコツやることが大事かなと思います」
ベテランほど、言えなくなる
話は、発信の難しさに及んだ。佐藤先生が指摘したのは、経験を積んだ医師ほど陥りやすい構造だ。
「ベテランになると、当たり前のことが、逆に患者さんにとってはすごいことだったりする。たとえばクマ取りは、丁寧にやれば腫れも内出血もしないのが普通なんです。でも若い先生は、特に大手の美容外科ではベテランDrが当たり前にやっていることを知らない。だから『腫れなかった、内出血しなかった、これはすごい』と発信するんです」
一般の方から見れば、それは価値ある情報として届く。
「ベテランのドクターは、それが当たり前なので、『すごいでしょう』なんて言うのが恥ずかしい。はっきり言うと、そうなんです。だけど、言わないことには、伝えなければ伝わらないんです」
自分が当たり前だと思っていることでも、患者さんの目線ではそうではない。
「保険診療に長く携わっていると、患者さん目線で物事を考えて治療を提案することや医学的な知識を説明することは慣れていますが、美容業界ではそれに加えて患者さん目線での『発信』が必要になる。そこが私たちの世代には、結構難しいです」
患者さんから見れば、開業したばかりのクリニックは、まだ誰も知らない存在だ。20年のキャリアがあっても、そこは変わらない——そう受け止めたうえでの言葉だった。
8|順番を間違えないために、最初にやること
最後に、若狹さんに伺った。同じ景色を目指す先生が、順番を間違えずに進むとしたら、何から始めるべきか。
「自分のやりたいことを細分化していく。本当に具体的に、やりたいことを噛み砕いて、計画を考える。それは楽しいことだと思うので、絶対にしたほうがいいと思います」
そして、若狹さんが先生方に最初にお願いすることが、ひとつある。
「ホームページを、自分で殴り書きしてみてほしいんです。
イメージを作ってほしい」
一見、遠回りに見える。けれど、書いてみると全部が決まる。
「そうすると、何曜日が休みで、何時から何時までで、住所が新宿で、治療の一覧がこれで、値段がこれくらい、と出てくる。それを考えて初めて、その先生の開業に具体性が出る。それをいただければ、そのまま事業計画にできます」
キャッチコピーひとつにも、意味がある。
「自分をどう伝えたいかが、そこに宿るんです」
だから、順番はこうなる。
「物件を探してからそれをやると、物件が無駄になる可能性がある。狭かったり、場所が悪かったり、自分のやりたいブランディングにはまらなかったり。物件を探すより先に、自分のクリニックを組み立てることです」
