クリニックの採用準備は、開業の半年前から ─ 社労士と考える、採用と労務の進め方
物件や内装、医療機器の検討に追われる開業準備。その一方で、診療を始めるために欠かせないのが、スタッフの採用だ。どの職種を何人採り、どのような条件で働いてもらうのか。クリニックの開業を100件以上支援してきた社会保険労務士・長尾道成氏は、開業の半年前を目安に相談することを勧める。求人を出す前に決めておきたいことから、開業後も続く労務の相談まで、早期に準備する理由を聞いた。(構成/ドカリー編集部)
- 社労士への相談は開業の半年前が目安。労働条件の検討、求人掲載、面接、雇用開始までを逆算する。
- 助成金の要件は採用計画の段階で確認し、院に必要な雇用条件とあわせて検討する。
- 少人数の院でも、働くルールや相談体制を整える。採用・労務の相談は開業後も続く。
2026年10月19日の取材をもとに構成。制度の説明は2026年10月時点。
開業日に必要なスタッフをそろえるために
開業準備では、物件や内装、医療機器の検討に時間を取られやすい。一方で、診療を始めるには、それらを使って働くスタッフが必要だ。看護師や医療事務など、自院に必要な職種と人数を決め、開業日までに採用を進めなければならない。
社会保険労務士の長尾道成氏が医療分野に力を入れるようになったきっかけも、クリニックの開業支援だった。もともとは業種を問わず労務相談を受けていたが、保険診療クリニックの採用を支援し、その経験が次の相談につながっていったという。
「一般の会社なら、経営者だけで事業を始めて、仕事が増えるにつれて人を採用する形もあります。クリニックは、開業日に必要なスタッフがそろっていなければ、予定どおりの診療体制をつくれません。決まった日までに、必要な人を採用する。その準備を、院長先生が一人で進めるのは大変です」
必要な職種や人数は、診療科、診療時間、提供する医療によって異なる。看護師と医療事務を中心に考える院もあれば、診療放射線技師や臨床検査技師などが必要な院もある。常勤とパートをどう組み合わせるかも、採用人数だけでは決められない。
採用計画は、どの時間帯に、誰が、どの業務を担うのかを考えるところから始まる。求人を出す前に診療体制を具体化しておくことが、開業日の人員不足や、採用後の役割の食い違いを防ぐ第一歩になる。
社労士への相談は、開業の半年前を目安に
では、いつ頃から社労士に相談すればよいのか。長尾氏が目安として挙げるのは「開業の半年前」だ。実際には、開業の1年前や、物件が決まる前に、まず全体像を知りたいと相談する医師もいるという。
「求人を掲載して、応募を受け付け、面接をして、雇用を始める。そこには一定の時間がかかります。私たちが支援するケースでは、雇用開始の1か月以上前から求人を掲載し、さらにその前に労働条件や求人原稿を準備しています。媒体によっては、掲載の約2か月前から条件を詰めておくこともあります」
「半年前にご相談いただければ、採用計画から一緒に考えられます。物件のエリアが決まり、申し込みを終えた頃に、一度全体像を聞いていただくのもよいと思います」
これらは長尾氏の支援経験にもとづく目安であり、どのクリニックにも共通する締め切りではない。地域の採用状況、募集職種、求人媒体によって必要な期間は変わる。開業前に研修や内覧会を行う場合は、その準備に必要な雇用開始日も考慮して、求人掲載や面接の日程を組み立てたい。
求人の準備で先に決めたいのは、賃金、勤務時間、休日、雇用期間、担当業務などの労働条件である。募集時にはこれらの条件を明示する必要があり、条件が曖昧なままでは、応募者も働く姿をイメージしにくい。院長が求める働き方と、応募者に提示する内容をそろえるためにも、求人原稿を作る前の相談に意味がある。
助成金は、採用計画を立てる段階で確認する
開業支援会社や医療機器メーカーとの打ち合わせが先に進み、社労士への相談は採用が決まってからになる。長尾氏は、そうしたケースも少なくないと話す。ただ、内定を出した後では、提案できる雇用条件や活用できる制度が限られる場合がある。
「採用が決まり、内定も出した後にご相談いただくと、助成金を活用するための準備が間に合わないことがあります。採用計画の段階から関われれば、労働条件や契約内容を一緒に検討し、その中で利用できる制度も確認できます。採用後のミスマッチを減らすうえでも、早く相談していただく意味は大きいですね」
雇用関係の助成金には、取り組みを始める前に計画の提出などが必要なものがある。ただし、その期限が採用前なのか、正社員への転換前なのかなどは制度によって異なる。「採用後は一切使えない」と考えるのではなく、自院の採用・育成計画に合う制度と手続きの時期を確認することが大切だ。
一方で、長尾氏は助成金の金額だけを理由に社労士を選んでほしくないと考えている。
「大きな金額が受け取れると聞けば、それを理由に依頼先を決めたくなるかもしれません。ただ、助成金は受給を確約できるものではありません。まず、どんな人が、どんな支援をしてくれるのかを見ていただきたい。そのうえで労働契約や職場の体制を整え、要件を満たした場合に助成金も活用する。そういう関わり方を大切にしています」
受給額や支給時期は、制度、対象者、取り組みの内容によって変わる。助成金を受け取るためだけに雇用条件を決めるのではなく、院に必要な採用と、スタッフが働き続けられる条件を先に考えたい。
人数が少ないうちから、働くルールを共有する
採用が決まれば、次は働くためのルールと手続きを整える段階に入る。就業規則の作成・届出が法律上義務づけられるのは、常時10人以上の労働者を使用する事業場である。人数にはパートなども含まれる。10人未満であればこの義務はないが、長尾氏は、開業時から就業規則を整えることを勧めている。
休暇の取り方、退職時の手続き、ハラスメントの相談先。こうした事項をその都度判断していると、対応が人によって変わったり、院長とスタッフの認識が食い違ったりしやすい。少人数だからこそ、共通のルールを書面にし、スタッフに周知しておく意味がある。
労働条件の明示は、スタッフの人数にかかわらず、労働契約を結ぶ際に必要だ。賃金、労働時間、契約期間、就業場所・業務など、法令で定められた事項は原則として書面で示す。本人が希望し、記録を出力できるなどの条件を満たす場合は、電子メール等による明示も認められる。2024年4月からは就業場所・業務の変更の範囲なども明示事項に加わっている。
求人票と契約時の条件に違いがないか、開業前の研修期間をどう扱うかも確認しておきたい。条件に変更がある場合は、応募者に説明し、認識をそろえて契約する必要がある。
保険の手続きと給与計算も、採用とあわせて準備する
医療法人や、常時5人以上の従業員を使用する個人診療所は、原則として健康保険・厚生年金保険の強制適用事業所となる。実際の加入対象者は勤務条件などによって判断され、国保組合に加入する場合は健康保険の適用除外の手続きが関係することもある。事業所としての手続きと、スタッフ一人ひとりの加入要件を分けて確認したい。
労災保険は、原則として労働者を1人でも雇えば適用される。雇用保険は、原則として週の所定労働時間が20時間以上で、31日以上の雇用見込みがある人などが対象となる。両者の加入要件を一括りにせず、採用時に確認する必要がある。
「クリニックでは、人事や給与計算の専任担当を置くことが難しく、まとめて任せたいというご相談をいただきます。給与計算は、社会保険や労働保険の手続きとも関わります。労務相談から毎月の給与計算まで、同じ窓口で支えることには意味があると考えています」
給与計算を外部に委託する場合も、勤怠データを誰が確認し、いつまでに渡すかは院内で決めておく。計算を委託することと、適切に賃金を支払う事業主の責任は別である。初回の給与支払日から逆算し、院内と委託先の役割をそろえておきたい。
履歴書だけでは分からないことを、面接で確かめる
長尾氏は、新卒で入社した大塚家具で営業を経験した後、29歳で人材紹介業に転身。エグゼクティブサーチファームで、4,000名以上のキャリア面談に携わってきた。その経験が、現在の採用支援にも生きているという。
「人材紹介では、たくさんの方の履歴書を見て、お話を聞いてきました。一枚の履歴書の背景には、その人の人生があります。書類から分かることと、実際に会って分かることは違います。その両方を見てきた経験が、看護師や医療事務などの採用をお手伝いする際にも役立っています」
「労務の制度や手続きに加えて、採用するかどうかの判断も相談できる。院長先生が私たちに求めてくださるのは、そうした部分だと思っています」
採用の最終判断をするのは院長である。長尾氏は面接に立ち会い、書類と面接で確認できたことを整理し、労働条件や契約内容も含めて助言する。応募者の経歴を確認するだけでなく、自院の仕事内容や働き方との接点を考える支援だ。
掲載援助
サポート
採用判断
内定者の入社までのフォロー
申請代行
サポート
新規作成
- 1求人広告のアドバイス事業所プロフィール、求人掲載に向けた文章構成、法令に沿った記載の助言
- 2書類選考の支援応募者の書類を確認し、面接に進めるかの判断を支援
- 3面接・採用判断(面接同席サポート)経歴のヒアリングと人物の確認を行い、合否の判断を支援
- 4内定に伴う入社関係書類の作成・送付・内定者サポート内定通知書、労働条件通知書の作成と、入社までのフォロー
この視点は開業後にも必要になる。スタッフの退職による補充や、患者数の増加に伴う増員など、採用の機会は繰り返し訪れる。開業時から診療方針や求める役割を共有しておけば、その後の採用も相談しやすくなる。
売上が安定しても、労務の相談は続く
開業前は、患者が来てくれるか、収支が成り立つかという不安が大きい。しかし、経営が軌道に乗れば、人に関する悩みもなくなるわけではない。スタッフの入れ替わりや働き方の変化に、継続して向き合う必要がある。
「売上が伸び、利益が残るようになっても、労務の相談は続きます。私自身も20人近いスタッフを抱える経営者ですから、人のことには日々気を配っています。同じ経営者として、困ったときに相談できる相手がいるかどうかは、大きいと感じています」
労務の相談では、制度を説明するだけでは解決しない場面もある。院内でどのような経緯があったのか、これまでどう運用してきたのか、院長とスタッフは何に困っているのか。背景を知ることで、実行できる対応を考えやすくなる。
「たとえば、社労士が替わったからといって、就業規則を一度に変えればよいわけではありません。スタッフが戸惑うこともあります。院内の状況を知り、院長先生の気持ちも整理しながら、どう進めるかを考える。長く関わる中で、そうした相談に応えられる存在でありたいと思っています」
社労士を選ぶ際は、料金や業務範囲に加え、相談への答え方も確かめたい。事情を聞いたうえで対応の選択肢を示してくれるか、院内で実行するところまで話し合えるか。長尾氏が重視する「相談の質と相性」は、継続して依頼する相手を考えるうえで、一つの判断材料になる。
育児休業とハラスメントは、小さな院にも関わる
近年の相談として長尾氏が挙げるのは、育児休業とハラスメントへの対応だ。いずれも、書類を用意すれば終わる話ではない。
「スタッフが5人のクリニックでも、育児休業は関係のある話です。給付金の手続きだけでなく、休業に入るまでに何を準備し、復帰後にどう働いてもらうか。その後も雇用関係を続けていくために、全体を考える必要があります」
「ハラスメントも、職員同士の関係だけでなく、患者さんとの間で起こることがあります。人が関わる問題ですから、何かを入れ替えれば解決するとは限りません。誰か一人の問題として片づけず、みんなが働ける環境をどうつくるかを考えています」
育児・介護休業法は2025年に段階的に改正が施行され、子の年齢に応じた柔軟な働き方の措置や、個別の意向確認などへの対応が必要になった。制度の対象を確認したうえで、本人との話し合い、業務の引き継ぎ、復帰後の勤務体制まで準備しておきたい。
カスタマーハラスメント対策は、改正労働施策総合推進法により、2026年10月1日から事業主の義務となった。患者や家族からの申し出をすべてハラスメントと捉えるのではなく、社会通念上許容される範囲を超える言動に対し、スタッフを守る対応を整えることが求められる。相談窓口、事実確認の手順、現場だけで対応が難しい場合の連絡先を決めておくことが、その土台になる。
まずは、開業までの採用準備を一緒に見渡す
「開業の半年前」という目安は、求人を出す日だけを指しているわけではない。必要な職種と人数を考え、労働条件を決め、募集・面接を経て、働き始めるための手続きを整える。その一連の準備に、早い段階から取りかかるための目安である。
物件や診療方針が具体化してきたら、採用と労務についても一度、全体の流れを確認したい。内装や機器の検討と並行して進めることで、開業直前に判断が集中するのを避けやすくなる。
そして、採用は開業後も続く。院の状況を理解し、スタッフとの関わり方まで相談できる相手を持つことは、開業準備だけでなく、その後の経営を支えることにもつながる。
開業前に確認しておきたいこと
- 診療科と診療時間に合う職種・人数・勤務体制が決まっているか
- 研修期間も含めた雇用開始日から、求人掲載・面接・内定の日程を逆算できているか
- 労働条件を整理し、求人票と契約時の説明に食い違いがないか
- 活用できる助成金の要件と、事前に必要な手続きを確認したか
- 就業規則や保険の手続き、勤怠管理・給与計算の担当を決めたか
- 育児休業やハラスメントについて、相談先と対応手順を共有できているか
出典・参考資料
取材:長尾 道成氏(2026年10月19日)。制度の確認資料は以下のとおり(2026年10月19日確認)。経歴・実績は添付原稿に記載された取材内容にもとづく。
